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東京高等裁判所 昭和47年(行コ)91号 判決 1974年4月30日

控訴人(原告) 木俣隆三 外一七名

被控訴人(被告) 浜松市

訴訟代理人 筧康生 外五名

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が控訴人らに対し昭和四三年度国民健康保険料を別紙控訴人目録下欄各記載の金額とする賦課処分を取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の陳述および証拠の提出、授用、認否は左記のほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

控訴人ら代理人は次のとおり述べた。

一、浜松市国民保険条例第一〇条は地方税法第七〇三条の四第二項と同じく保険料の賦課総額につき「当該年度の初日における療養の給付及び療養費の支給に要する費用の総額の見込額から療養の給付についての一部負担金の総額の見込額を控除した額の一〇〇分の六五に相当する額とする」旨規定し、保険料の賦課総額は「当該年度の初日」における見込額によるべきことと一義的に定めている。従つて浜松市においては右条例に従い国民健康保険料の賦課総額は年度頭初に確定しなければならないのである。本件条例の改正規定は右条例第一〇条を全く無視してなされたものであり行政法規不遡及の原則に違反することが明らかである。かりに昭和四二年度中から昭和四三年度には保険料を引き上げる必要のあることが予想されたとすれば浜松市においては年度頭初において当然それを見込むべきであつたし、かゝる場合の年度途中の保険料率の変更(著増)及び値上保険料の遡及適用は許されないものといわなければならない。ちなみに昭和三九年九月三〇日厚生省国民保険課長の東京都保険部長宛回答によると、本件のごとき年度途中に保険料率を引き上げ賦課期日に遡及して適用する措置は年度頭初において予想しえなかつた異常の医療費の増高等の特別の理由による場合に限定しているのであるから、本件改正条例を四月一日に遡及適用することは右厚生省の回答の基準に照らしても必要やむをえない場合には該当しないものである。

二、地方自治法第二二二条にいう予算とは文字どおり歳入、歳出を含むものと解すべきである。本件条例の改正案は保険料という目的税的性格のもので国民健康保険特別会計予算の歳出増加に対応する目的のための歳入財源として被控訴人によつて市議会に提案されたものであり直接右特別会計予算そのものに関する議案であるから、地方自治法第二二二条にいう「予算」に該当し、条例改正と同時に補正予算案が提出されなければならなかつたものというべきである。従つて何らの補正予算を伴わずになされた本件条例改正は明らかに地方自治法第二二二条に違反しており無効というべきである。

被控訴代理人は次のとおり述べた。

一、浜松市保険条例第一〇条にいう賦課総額とは、保険者が国民健庫保険の費用に充てるため世帯主に賦課し、徴収しうる保険料の総額の限度額をいうものである。すなわち保険者は国民健康保険事業に要する費用に充てるため世帯主から保険料を徴収しなければならないのであるが、保険事業の費用の財源は保険料のほか事務費の全額並びに療養の給付及び療養費の支給に要する費用の一〇〇分の四〇に当る国庫負担金(国民健康保険法六九条・七〇条)、県及び市の補助金(同法七五条)等があり、保険者に保険料を無制限に賦課徴収させ、保険事業の費用に充てさせることは相当でないので、条例第一〇条は前記国庫負担金の額、被保険者の自己負担額(療養費の三割)などを考慮して、保険者が保険料として賦課徴収しうる額は療養の給付及び療養費の支給に要する費用の総額の見込額の一〇〇分の六五に相当する額を限度とする旨を規定したのである。本件における具体的な給付の基礎となつた賦課総額は条例の定める乗率によつて総額の範囲内において定められたものであつて右条例の規定する総額に反するものではない、すなわち本件処分は条例の改正によるものであるが、右改正にかゝる部分は所得割額、資産等割額、世帯別平等割額の各割合および最高限度額である。賦課総額にかゝる条例第一〇条は被保険者に不利になるようには改正されていない。たゞ具体的な賦課総額をうる乗率は、当該年度における具体的に必要な保険総額に応じ条例の定める率の範囲内において被保険者に有利に適用したに過ぎない。また保険料の具体的な額が年度頭初に決定しえないことは、制度自体が算定にかゝる基礎的資料等を年度中の決定にかゝらしめることないしは仮算定制度によりすでにあらかじめ予定するところである。このように、制度が具体的額を年度途中に決定することを予定し、それに従つて本件処分がなされた以上それは賦課処分が遡及してなされたことにならず、いわんや行政法規不遡及の一般原則により否定されるものではない。なお控訴人らの援用する厚生省国民健康保険課長の回答は同一年度中に一たん決定した保険料率を年度途中で変更する場合についてのものであり、本件のごとく前年度に比し当年度の保険料が引上げになる場合のものではない。

理由

一、当裁判所は控訴人らの本訴請求は理由がないものと判断するものであつて、その理由は左記のとおり補足するほかは、原判決の理由の説示と同一であるから、これを引用する。

二、本件条例の改正規定は行政法規不遡及の原則に反するとの主張について。

行政法規が普通は遡及効を有しないことは控訴人ら主張のとおりである。しかし行政法規は単に一般的、抽象的な法規範に止まらず、具体的な行政上の必要を充すためという性格を持つものであるから、国民ないし住民の既得権を侵害せずしかも遡つて適用すべき予測可能性のある場合には遡及することも許されるものと解するを相当とする。

本件条例の改正は保険料賦課額の基準となる所得割を賦課総額の一〇〇分の三五(改正前は一〇〇分の三〇)資産割を賦課総額の一〇〇分の二五(改正前は一〇〇分の二〇)被保険者均等割を一〇〇分の二五(改正前は一〇〇分の三〇)世帯別平等割を一〇〇分の一五(改正前は一〇〇分の二〇)と改め、その賦課額の限度を六万円(改正前は五万円)に引き上げたものであつて、昭和四三年九月三〇日公布施行昭和四三年度分の保険料から適用するというものであることは引用部分において判示したとおりである。

ところで、国民健康保険は短期の保険事故について、比較的短期の保険給付を行い一会計年度を収支の単位とする短期保険の型態を採るものである。したがつて年度当初に見込まれた収支によつてその年度の保険料賦課総額も決まり保険料の率も決定せらるべきこととなるのである。

前掲引用部分において挙示した証拠によれば、浜松市国民健康保険における保険料の算出については、(1)先づ、賦課総額が決まる(条例一〇条)(2)それを所得割額、資産割額(以上を応能割という)均等割額、世帯別平等割額(以上を応益割という)の四つに区分し、(3)それぞれの保険料率を決める。すなわち所得割額は(2)の所得割額をその年度の市民税の所得割額の総額で除した数であり、資産割は(1)の資産割額をその年度の固定資産税の総額で除した数であり、均等割額、平等割額はそれぞれの(2)の額を年度当初の被保険者数世帯主数で除した数である、そして市長は保険料率を告示する(条例一四条)(4)各人のその年度の市民税所得割額、固定資産税額に右保険料率を乗してえた所得割額資産割額に(3)の個々の均等割額、平等割額を加えて個々の保険料が決まる(5)保険料の賦課期日は四月一日で、納期は九月、一〇月を除く一〇回である(条例一五、一六条)こと、保険料の徴収については条例において保険料の所得割の算定の基礎に用いる市民税の所得割額が確定しないため当該年度分の保険料額を確定することができない場合においては、その確定する日までの間において到来する納期において徴収すべき保険料にかぎり保険料の納付義務者について、その者の前年度の保険料を当該年度の納期の数で除して得た額(市長において必要を認める場合においては、当該年度の保険料を当該年度の納期の数で除して得た額の範囲内において市長が定めた額とする)をそれぞれの納期に係る保険料として徴収する。前項の規定によつて保険料を賦課した場合において、当該保険料額が当該年度分の保険料に満たないこととなるときは、当該年度の保険料額が確定した日以後の納期においてその不足額を徴収し、すでに徴収した保険料額が当該年度分の保険料額をこえることとなるときは、その過納額を還付することと定められていること(条例第一八条)および浜松市においては保険料率の決定はその前提となる市民税額が六月頃にならないと決まらないため、毎年九月頃に決定されるのが例となつており、本件においては浜松市長は昭和四三年一〇月三日昭和四三年度の保険料率を決定告示し、同年一一月一日個々の保険料額を算定して賦課し、第一期から第五期までの納期には前記条例の定めにより前年度の保険料額の一〇分の一宛を徴収しその後の納期において不足分を徴収したものであることがそれぞれ認められる。

以上みたところによれば保険料の率は各年度毎に決定せらるべきものであつて前年度のそれに固定さるべきものではない。本件条例の改正自体は被保険者に対する保険料の負担割合を改正したものであつて、結果として個々の保険料が前年度のそれよりも増加したとしても、これによつて各被保険者の既得権を侵害するものといえないことはもとより本件条例の改正規定が遡つて昭和四三年度分の保険料から適用されるとしても、前示のとおり右改正条例が制定公布されるまでの第一期ないし第五期までの保険料は条例の定めに従い暫定的に徴収された額に過ぎないのであるから被保険者の既得権を侵害するものではなく、その増減のあることは予測可能であつたものというべきである。したがつて本件条例が遡つて昭和四三年の保険料から適用するものとしたことは許容されるものといわなければならない。

控訴人らは本件条例の改正は同条例第一〇条を無視したものであると主張するが、同条は保険料の賦課総額の限度を定めたものであつて、その範囲内における当該年度の保険料の賦課総額が当該年度の初日において確定しなければならないとするものではないから右主張は理由がない。

また控訴人らは本件条例の改正は昭和三九年九月三〇日厚生省国民課長の東京都国民健康保険部長宛回答に反すると主張するが、原審証人高尾泉の証言及び弁論の全趣旨によれば右回答は同一年度中に一たん決定した保険料率を年度途中において変更する場合のものであることが認められるから右主張も採用し難い。

三、地方自治法第二二二条に違反するとの主張について。

地方自治法第二二二条があらたに財政上の負担を生ずる場合に適用せらるべき規定であることは前記引用部分において判示したとおりであるが、かりに本件条例の改正について同条の適用があるとしても、成立に争いのない乙第一〇号証の一及び弁論の全趣旨によれば浜松市長は本件条例改正が議決された議会に相次ぐ第四回市議会定例会(昭和四三年一一月)に国民健康保険事業特別会計の補正予算を提案し、右は同市議会において可決されていることが認められるから、その瑕疵は治癒されたものというべきである。

よつて、以上と同旨で控訴人らの本訴請求を棄却した原判決は正当であつて本件控訴はいずれも理由がないから民事訴訟法第三八四条第一項、第九五条、第八九条、第九三条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 杉山孝 小池二八 渡辺忠之)

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